- 豚肉でチーズと大葉を挟んで揚げたの
- 豚肉と大根おろし和え
- 菜の花カレーマヨ
料理本から食べたいものを選んで料理するってわくわくする。あるもので作るのもライブ感があって楽しいけど、それとは違う、スペシャルな感じ。オットもそんな気持ちで作ったのだろう。
人が作ってくれた料理たべるの大好き
おやすみなさい。
「料理本を買って、その本に載ってる料理全部を作りたい」と言っていたので、プレゼント。
ふたりが大好きなケンタロウにしました。
お母さんのカツ代さんも大好き。二人が共演していた回の「きょうの料理」なんて今見たら泣けてきます。
カツ代さんもケンタロウも潔い料理が多い気がする。潔く、とにかく美味しい。
スカンク兄弟のCDもよく聴いた。一昨年?のノコノコロックにスカンク兄弟が出たのも見に行ったのだよ。(なんともハートフルなバンドだった!)
なんと高山なおみさんのカレーも食べれたんだよ。ドキドキしながら高山さんの前に立って、カレーを受けとった。高山さんは夏ミカンの葉っぱをちぎって「この葉っぱを炊き込んでるんだよ〜」と言ってクンクンさせてくれた。
ここは大好きな人たちがたくさんで、みんな穏やかで差別も偏見もないユートピア的な場所だ〜!なんてひとりで想ってた。
いつもどんな世界で生きてるんだよって感じだけど。
話は逸れましたが、とにかくわたしたちはケンタロウが好きななのだ。
男子ごはんもケンタロウが恋しくなっちゃう。心平さんもケンタロウの居場所の一つを守るために出てくれてるんだと思うし。もちろん応援してます。ただ、もうすこし痩せるか、もしくはもっと太ってほしいけどね。(個人的趣味ですが)
というわけで今日、オットが料理してくれます。うっれしいな〜〜。
日曜日の夜は餃子屋さんへ。
焼き餃子や豚足のからあげなんかもたくさん食べました。あと、もちろんビールも。
頼みすぎないようにお腹と相談しながらにしようねってふたりで決めてたのにやっぱり頼みすぎる。
あれも美味しそう、これも美味しそうって。全部食べたけどお腹がくるしい。
背後から「先生」と声をかけられて振り返ると二年前の卒園児家族がすぐ近くの席にいた。
卒園児は新3年生。この年は人数も少ない年で、たっぷりしっかり関わってきた園児たちばかり。
学校でたまに会うその子とはまるで別人で、大人な会釈をしてくれたりしたのでびっくりした。
いつもは幼稚園の頃とはなんら変わらない姿なのに。外で会うと変な感じするよね、まぁ。
お母さんが「先生の手紙を机の下敷きに挟んでてね、今でもたまに読んでますよ」って話してくれた。
本人も去年会った際に「先生の手紙とってるよ」って教えてくれたけど、やっぱりうれしい。
超、肯定的な手紙を書いたんだ。頑張って。とかじゃなくて、その子たちの素晴らしいところを素晴らしいってとにかく伝えたくて。
その気持ちが伝わったのかな。
みんながみんな先生に気に入られてこれからの長い長い学校生活を送れるとは思わない。(わたしがそうだったように)
はみ出しちゃってる自分に自信を持てなくなる瞬間もくるかもしれない。
だからそんなときに、きみこ先生はいつもこんなとこを褒めてくれてたな。とか、どんなときも味方だったな。とか思い出してくれたらなぁと思う。
わたしにもそんな先生が居たらよかったなといつも思うけど。
しかし預かりの先生なんてあっとゆうまに忘れ去られらと思うんだけどね。だからその子みたいに覚えててくれてると思うと泣けてくるね。
心もお腹も満たされて家に帰って、さて寝ようってときに胸やけが始まった。
吐きそうで吐かない辛さよ。味が濃ゆいものや揚げ物食べ過ぎたみたい。家のご飯ではまったくならないけど、外食で食べ過ぎるとこうなる。胃腸が弱いのか正常なのか。
夜中の2時にリビングに戻ってハーブティー飲んだら落ち着いてきてそのまま就寝。
朝はいつもお見送りするけど心優しきオットが「ゆっくりしとき」と言ってくれたのでお布団から出なかった。
プライムで映画見たり、眠ったり。のんびりまったりな一日。
明日は友人と会う予定。
甘い、甘いカフェオレ。
牛乳たっぷりでおいしい。
図書館に着いたら車が少なくてラッキーと思って駐車場に車を停めたはいいけどいつもたくさんある自転車が一台もない。
今日は休みらしい。四月一日は新年度の始めだし休みなんだね。
帰りにスーパーに寄るとアラスカ産の塩鮭があったので思わずカゴに入れる。(2割引だったし!)
ユーコンリバーなんて書かれてたら買っちゃう。
わたしたちがアラスカへ行ったとき、ガイドさんがチェナ川にモンスターがでたんですよ。と動画を見せてくれたなぁ。(ちょっと前にニュースになったらしい)
毎日アラスカでのシーンが頭に浮かぶ。それは本当に日々様々。心はまだアラスカから帰ってきてないみたいだ。
それなのに、アラスカ日記の続き書けてないな〜〜。
三年間勤めた幼稚園を今日退職しました。
中学、高校が三年間であるように、三年ってひとつの完了の年数な気もして。
幼稚園といっても幼稚園教諭ではなく、預かりの先生なのです。
なので とにかく楽しく、ゆるく、安全に。をモットーに三年間自分自身も楽しみました。
子どもたちがみんな、とにかく愛おしかった。毎日毎日が本当にあたらしい一日なんだってことを感じさせてくれた。
もうすでに寂しくてたまんないけど、すごく悩みながら、自分自身と会話を繰り返し決めたことなので後悔はなし。
次のやりたいことに向かって進む、はじめの一歩がこの仕事を辞めることだったから。
わたしは毎月出す書類(にも関わらず)を間違ってばかりで、要領も悪く、仕事も遅い。伝えたいことはたくさんあるのに上手く話せなかったり、いつも受け身でいるばかり。有能な人材とは決して言えない。
そんなわたしだけど、事あるごとに温かい言葉を掛けてくれ、必要な存在として想ってくれた主任の先生にはいつもいつも救われた。
もちろん毎日大好きビームの交換をしてた(つもり)子どもたちにも。
この職場で働けてよかった。
しあわせな日々、そして最高のさようなら。
巨大なありがとうを墨で書き表してみたい。
日曜日はおつかれさまパーティーでオットと餃子を食べにいきます。
悲しきかな、主宰者は主役であるわたしですが。
3月19日 日曜
オットは試験の勉強の為学校に行くと行っていたけど、昨日わたしの実家で飲み過ぎたせいかなかなか起きない。昼前に起きてふたりでナポリタンを作って食べる。
学校には行かず家で勉強するというので、わたしは母とちょっと買い物へ行ってきた。
母は最近お花を植えるのにハマっているみたいなので、実家にあった白いラナンキュラスの苗を連れて帰る。
夜は豚肉と白髪ねぎを蒸して梅肉だれで食べるのを作る予定だったけど、アメトークがカレーだと知って、オットが急遽カレーを作ってくれた。(絶対カレーが食べたくなるから)
カレーのテレビを見ながら食べるカレー、おいしかった。
3月20日 月曜日
早起きして下関の唐戸市場へ。行きはわたしが運転。関門トンネルって、海中走ってるって、毎回気持ちが高ぶる。水族館にいるような気分にすらなるような。何も見えてないはずだけど。
唐戸市場はものすごい賑わいだった。歩くのも一苦労なほどで、ある意味戦場のようだった。威勢のいい声が飛び交う。黄色い看板の、にこにこ顔のおばさまたちがいるおいしそうなお店を選んだ。マグロやフグやくじらベーコンのお寿司を頬張り、フグの唐揚げに、天ぷら、シメにミニ海鮮丼まで。ふたりでたらふく食べる。
久しぶりに来た唐戸市場は遊園地並みに非日常感があってよかった。
小倉へ。
コレットから駅ビル、井筒屋へ。その頃にはオットの足は限界を迎えたらしい。アフタヌーンティーは満席。井筒屋内のケーキ屋のカフェに入ろうとすると後ろからきたおばさまたちに押しのけられた。デパートにいるおばさま集団は強い。コレットへ戻りキハチカフェに向かうと行列が。オットの足はもう限界を越えたらしいのでフルーツジュースを買って車に乗り込む。今日はわたしが服を買って、オットは何も買わない日だった。とてもとても珍しく。こんな日があってもいいね。とオットは言っていた。
帰りに平田ナーサリー(園芸品店)へ寄るとオットの本性が炸裂し物欲が抑えきれないほどの興奮状態を迎えていた。足は痛くないらしい。
今日はふたつまでしたら?と声をかけたら素直に聞いてくれた。
オットはとても満足そうで、それをみるとやっぱりこの人は物を欲する気持ちがなくなるとダメな人なんだなと思った。底なしの物欲の持ち主。
どんどん欲して、手に入れて、それがエネルギーになるのかもしれない。
ぐるぐる循環してる絵が浮かぶ。
3月18日土曜日
朝から図書館へ。本の返却を済ませる。そして今回は一冊だけ借りた。「アラスカを追いかけて」というヤングアダルト小説。アラスカに旅行へ行ってるときに「アラスカを追いかけて」が映画化。とのニュースを見たような気がしてて、その記憶が妙に愛おしく大切に感じるので借りてみました。
11時から車の修理を予約していたのでバタバタ図書館を出る。やはり図書館は思う存分、居たいだけいるべき場所なんだなということを再認識した、それでも幸せな三連休の初日の朝。
車の修理は母と共に。母はいつも忙しそう。本当に忙しいんだけど、自分でもっと忙しくしているような気がする。そのおかげでわたしたちが助かってるんだけども。
夜は父の弟が帰ってきているということで、わたしの実家の縁側ウッドデッキでバーベキューをした。
わたしたちが行ったときには父も叔父もいい気分。叔父はわたしたちに何度も「岩国に遊びにおいで」と言ってくれた。するとなぜかいつよまにかゴールデンウィークにフルメンバー(総勢8人!)での旅行が計画され出した。
果たして本当に行くのだろうか。
酔っ払いたちは確実に楽しくなりすぎている。
わたしは両親にとても大切にされて、愛されて育ったと思っているんだけど、心にひっかかっていることもたくさんたくさんあって(伝えまくってるけど)それを想うといまだに涙が溢れでてくる。
父は酔っ払ってくるといつも姉を褒めだす。「あきちゃんはバスケ上手かった」「あきちゃんは頭がいい」「あきちゃんはみんなに可愛がられる」
わたしはそれを聞くたびに悲しくなる。姉ばかり褒めることが嫌なんじゃなくて、父はわたしを褒めるところが見つからないんだな。一つもないんだなぁ。とそう思って涙がでそうになる。
姉は容量が良く、なんでもこなせるタイプ、わたしは容量が悪く、極端なタイプで。
家族でクイズ番組を見ていてわたしが変てこな答えを言うと、みんな楽しそう笑った。
わたしはそんな感じなんだと思う。今も昔も。そんなところも可愛がられたし、愛もものすごく感じて育ったけど、認められた経験が極度にないと言うのは今のわたしにかなり影響している気がする。
自己肯定感は低いが自己開示欲は強いところとか。
わたしはこう思うことにしている。
姉のいい部分はわかりやすいから褒めやすいけど、わたしのいい部分は気づきにくいだけなんだと。
わかりずらい場所に存在してる。それは宝物みたいに。